ナチュ部へようこそ!
2男2女の4人の子どもを持つMAYAです。
会社員の仕事をしながら、ブログを書いたり、ネットショップを運営したりと個人事業主としてもお仕事しています。
主婦は毎日忙しい。
でも、だからって自分の人生を諦めたくない。
母であり、嫁である前に、
1人の人間ですからね。
がんばりすぎるのではなく、ナチュラルに自分らしく生きられる人を増やしたいし、
自分自身もそうありたい。
そう強く思っています。
そんな私がこれまでどんな人生を歩んできたのか、長い人生をかいつまんで書いていくので、
ぜひ少し覗いてみてください。
プロフィール
名前:MAYA
出身地:関西の田舎の方
家族:5歳年上の夫1人、子ども4人
仕事:会社員かつ個人事業主
趣味:編み物、縫い物、読書
好きなこと:家族旅行
趣味を見ていただいた方は、おだやかな優しい性格のママのイメージをもたれたかもしれません。
確かに、第一印象は、「やわらかい」「おだやか」「ふわっとしてる」と言われることが多いんですが、
そう思われる理由は私が垂れ目だからなんです(><)
垂れ目ってやさしく見られがちなんですよね。
現実の私を知ると、第一印象と違うってよく言われます。。。
小さい頃からスポーツバカで・・・という私のプロフィールが、ここから始まります。
小学生時代
私のプロフィールについて、小学生時代から始めようと思います。
少々長いですが、
お時間のある方は、ぜひ最後までおつきあいください。
男兄弟の真ん中に生まれた私は、
物心ついた頃から、
兄と弟に嫉妬してしていました。
私自身も親となり、今となってはよくわかるのですが、
3人兄弟の真ん中ってどうしても他の2人と比べると、
母親が気にかけてくれる度合いが少ないんです。
しかも、兄と弟ですからね。
母からしたら、
兄は第一子だし、何かと気にかかる。
弟は私の4つ下と少し歳が離れていることもあり、何かとかわいい。
私は第二子だし、変に要領がいいこともあり、
放っておいても大丈夫。
ということで、
子どもの私からしたら、
自分はかわいがってもらえていないとずっと感じていました。
母親にかわいがってもらうために、がんばらなきゃという思いが強かったし、
とにかく認められたいという思いも強かったんです。
その認められたい欲求の強さは、その後もずーーっと続きます。
そんな私は、
小学5年生のときに、友達に誘われてバレーボールを始めました。
当時は、
子どものスポーツ指導は、暴言暴力当たり前の時代。
監督の先生が熱心で、
強いチームになるために、それはそれは熱い指導を受けました。
週末は監督の先生の車で、1時間以上かけて強豪チームとの練習試合。
お弁当を持って行くんですが、
お昼休みに、チームメイトと何度抜け出そうと話しをしたことか。
そんなに辛いなら辞めればいいんですが、
当時はそういう環境が当たり前で、バレーボールを辞めることなんて、頭をよぎったことさえなかったんです。
今から思い返すと、
恐怖の中で、先生に怒られないようにびくびくしながらプレーしていたうように思います。
でも、そんな辛い思い出も、
今となっては、
監督の先生がどれだけ私たちに時間もお金も費やしてくれていたのかがわかるし、
私たちを強くしたくて先生も必死だったのだということがわかります。
その方法が、当時は暴言・暴力しかなかっただけということ。
そして、このときの経験が今の自分をつくっていると感じていて、
根性もついたし、
世の中の理不尽さも知ったし、
人間関係の大事な部分も学んだような気がしています。
さらに、スポーツは結果がすべて。
どれだけがんばっても、結果が出なければ意味がないということも学びました。
それこそ泣いたり泣いたり泣いたり、ときどき笑ったりしながら、
5年生、6年生はバレーボール1色の生活を送りました。
練習後に家に帰って、
2階への階段が上がれないぐらいヘトヘトになっていたそうです。
マクドに行ったら、ハンバーガー2つ食べるのは当たり前。
ある意味すごい小学生でした・・・
中学生時代
中学は、地元の公立中学に進学。
不良と呼ばれる人たちが何人もいて、
とっても素直でやさしかった同級生の目がいつの頃からか鋭くなり、タバコにも手を出すようになるなど、
いわゆる思春期という時代を、その名の通りに過ごしました。
私自身も、少々の悪いことはしたし、
不良がかっこよく感じ、不良と呼ばれる中の1人と付き合ったりもしたり。
親に反発もしながら、
でも、ごくごく普通の中学生ライフを送りました。
高校生時代
中学生時代、少々の悪いことはしたものの、
勉強はそこそこ真面目にやったおかげで、
高校は希望していた高校に合格。
家からは離れた高校だったので、
中学のときのように毎日友達と遊ぶなんていうことはなくなり、
家と学校の往復の毎日。
一応、中学でもバレーボール部に所属していたのですが、
高校でもバレーボール部に入部し、
朝練のために5時起きしたり、昼練したりと、
スポーツ少女をしていました。
勉強に部活にと、高校生時代は、そこそこ充実した毎日を過ごしていたものの、
刺激はないというか、
毎日を普通に過ごしていたというか、
羽目を外すようなこともほとんどしなかったし、
部活で忙しく、
高校生らしい遊びもほとんどしないという、
平凡な高校生活だったと思います。
ただただ、スポーツばかりしていて、
筋肉だけはしっかりとついていましたね。
大学生時代
大学入学後は、ラクロス部に入部。
結局、小学5年生のときにバレー部に入って以来、ずーーーーーーーーっとスポーツをし続ける生活。
でも、ずっとスポーツをしてきた私にとっては、
スポーツをしない生活は何をしてよいかわからなかったんですよね。
そして、面白いことに、
スポーツによって、集まる人って全然違うんです。
ラクロス部は女子サッカー部に近いイメージ。
バレーボール部ってどちらかというと、
ガツガツしている感じではなく、
少しおとなしめの女性が多いんですけど、
ラクロス部は、
ガサガサした女性が多いんです。
男っぽいという方がわかりやすいかな。
ラクロスを始めて、その人種の違いに圧倒されながらも、
ラクロスというスポーツの魅力にも、
ラクロスに集まる人たちの魅力にもはまっていきました。
結局、大学時代も、スポーツばかりやっていたので、
私の小学生から大学生までの約10年間はスポーツ人生だったんです。
髪はずっとショートカットで、
スカートはあまりはかず、
「女らしい」という言葉なんて言われたことがないような人生でした。
もちろん、
筋肉はさらに増し、足も肩も腕もムキムキでした。
会社員時代
無事に就職先が決まり、大学卒業後は会社員に。
仕事はなかなかの激務で、
1か月間、1日も休みがない期間もあれば、
徹夜する日もあるなど、
とにかく忙しく過ごしていました。
ただ、
幼い頃から培ってきた認められたい欲求のせいで、
仕事もとにかくできることは精一杯がんばりました。
母親に愛されていないという感情は、いつしか認められたい欲求に変わっていったんです。
子どもの頃から、男だからとか、女だからとか、言われることが大嫌いで、
仕事においても、女だからと言われないよう、同期の男性にも負けたくないと必死でがんばりました。
そうやってがんばることで、
自分自身の承認欲求を満たしていたのかもしれません。
結婚→離婚
26歳で結婚。
相手は学生の頃から付き合っていた男性でした。
ただ、付き合いの長い人だったこともあり、
お互いに仕事が忙しかったこともあり、
新婚生活を楽しむというよりも、
同居人というような状態になっていってしまい、
結婚後、約1年半で離婚。
離婚が成立するまでにも、いろいろとあったのですが、
それはまた別の機会に記事にしたいと思います。
再婚
離婚後は、
自分1人で生きていくんだと、それまで以上に仕事に精を出していました。
そんな頃、
現在の主人と出会い、再婚。
再婚には迷いもありましたが、
主人もバツイチだったこともあり、
“結婚生活はお互いの努力が必要”
という考え方も一致していて、
この人とならやっていけると感じ、再婚を決めました。
すぐに家を買うことを決め、
子どももすぐにほしいねという話になり、
めでたく第一子を妊娠しました。
第一子出産
無事に第一子出産。
幸せいっぱいのはずなのですが、
この頃に不満だったことが1つあります。
それは仕事に対すること。
仕事が好きだったし、仕事をがんばることで、
自分の承認欲求を満たしていた私にとって、
仕事はとても大事なものだったんです。
結婚しても子どもが生まれても、ずっと仕事をしようと思っていましたし、
実際に子どもが生まれても、その想いは変わらなかったんです。
早く仕事に復帰したくて、
子どもが生後6ヶ月を過ぎた頃から、自宅勤務という形で少しずつ仕事を開始しました。
自宅勤務ができる職種だったんです。
でも、いざ仕事を始めてみたところで、
出産前と同じように仕事ができるはずもないんです。
子どもがお昼寝している間や、夜に寝た後に、仕事をするつもりでいても、
子どもはそんなに都合よく寝てくれない。
なかなかお昼寝しない日もあれば、
夜泣きをする日もある。
やりたい仕事があるのに、思い通りに時間を確保できないことで、
イライラがつのり、子どもに対しても怒りの感情が出てきてしまう。
しかも、仕事の時間を確保できたところで、
家でできる仕事には限界があります。
出産前にやっていた仕事は、
お客様先での打ち合わせやお客様先で行う作業が多く、
そういう部分も含めて仕事が好きだったのに、自宅勤務ではもちろんそれはできません。
そして、子どもを保育園に預けられることになったとしても、
お客様先へ行くことは難しいことに気づいたんです。
普通に考えればわかることだけど、やっぱり実際に自分に子どもができるまでは気づかなかったんですね。。。
お客様は日本全国にあり、しかも遠方が多かったこともあり、
打ち合わせに行くだけでも1泊することも多かったし、
宿泊しなくても、朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくることもザラでした。
でも、子どもがいるとそれができない。
宿泊は無理だし、帰りが遅くなるのも無理。
子どもが少し大きくなればできるようになるかもとも考えたけど、
小学生になったとしても、夜に子どもだけを家に置いておくことはできない。
じゃあ中学生になったらできるの? いやいややっぱり難しい。
高校生になったらさすがに大丈夫かもしれないけど、
その当時は漠然と、子どもは3人ほしいと思っていたから、
3人ともが高校生になる頃には私は何歳になるの?
と考えると、
もし、子どもが全員高校生になって、夜遅く帰っても大丈夫になったとしても、
そんなに長い期間、現場から離れていた人間が、お客様先に行ったところでできることはない。と感じました。
ということは、
私は、好きだった仕事が一生できないんだ。
このことに気づいたとき、
最初に感じたのは怒りの感情でした。
女性は、子どもが生まれたら、生活スタイルが完全に変わってしまう。
仕事も思うようにできない。
でも、男性は、子どもが生まれようが、何も変わらない。
多少、子どもの世話をすることがあったとしても、大きな変化はない。
ましてや、仕事に関しては、全く何も変わらない。
ずっと仕事をやり続けられる。
こんな不公平なことってあっていいのだろうか。
なぜ女性だけが、こんなに犠牲を払わなければならないのか。
そんな風に思ったんです。
子どもの頃から、男だから、女だから、と言われるのが大嫌いだったけど、
でもやっぱり男と女は違うんだ、ということを体感したんです。
自分は女なんだということも思い知ったんです。
第二子出産
仕事に対してはモヤモヤがありましたが、
子どもに兄弟はほしいと思っていましたし、
その頃はまだ、できるだけ早く子育てをひと段落させて、仕事したいと思っていたので、
すぐに妊活し、第二子を妊娠。
そして、第二子も無事に出産しました。
第二子が生まれた頃から、
私の仕事に対する考え方にも少しずつ変化が生まれたんです。
会社員の仕事が、思い通りにできないことに対して、不満ばかりを感じていたのが、
できないなら仕方がない。
それなら自分がやりがいを感じられるものを探そうという考えに少しずつ変わっていきました。
そんな頃に、偶然、
インターネットを使ってビジネスをするというネットビジネスに出会います。
それまで、
ネットビジネス=あやしい
としか思っていなかったし、
主人にももちろん反対されたのですが、
それでも、自分の力でお金を稼ぐということに魅力を感じたし、
やってみたいという気持ちが強かったんです。
育児休暇中にネットビジネスへの挑戦を始め、
最初からうまくいくということはなかったんですが、
少しずつ成果が出始めました。
そうすると、自信もついたし、
家でできる仕事なので、
これなら子育てしながらでもできると感じました。
やったらやっただけの報酬がもらえるわけではない会社員の仕事とは違い、
やったらやっただけの報酬が返ってくるネットビジネスは魅力的でした。
死産→第三子出産
その後、育休復帰し、
会社員の仕事と個人事業とを並行して行いながら、
第三子を妊娠。
ですが、妊娠5ヶ月で死産となってしまいました。
子ども2人を大きなトラブルなく出産し、
次も問題なく生まれてきてくれるだろうと思っていた矢先の出来事で、
自分の生活が悪かったんじゃいかと自分を責めもしたし、
なんでなんでなんでなんで?
と答えのない問いをただ繰り返していました。
1つの命が生まれることって本当に奇跡なんだと知ったし、
命の大切さをより感じるようになりましたが、
でも、それよりもやっぱり悲しい気持ちが強すぎて、
しばらくは腑抜けのような状態になっていたんです。
そんな状態の私をみかねて、主人が家族旅行を提案してくれました。
初めての家族での海外旅行。
こんな精神状態で行ったところで、楽しめないんじゃないかとも思ったけど、
行ってみたら、本当に楽しかったんです。
ただただ、夫と、子どもたちと、一緒にいて、
夫と、子どもたちが、笑ってくれているだけで、
これ以上ないというぐらいの幸せを感じました。
私にはこんなに大事な家族がいるんだと再認識させてくれたんです。
もちろん、亡くなってしまった赤ちゃんのことは忘れない。
でも、今いる家族を大事にして、家族との生活を楽しみたい。
そう思いました。
その後、個人事業が辛くなったときにも、
また家族旅行に行きたいという想いがモチベーションとなり、今もずっと継続できています。
そして、再び赤ちゃんがお腹にやってきてくれて、第三子を出産。
まさか、自分が3人の母になるなんて!
自分が3人兄弟だったこともあり、
なんとなく子どもは3人いたらいいなーと思ってはいたものの、
本当に3人も生むことになるとは、自分が1番びっくりしています。
さらに、
第四子も生まれました。
4人もの子どもをちゃんと育てることができるのだろうかと不安になることもありますが、
私たち家族を選んできてくれた赤ちゃんなのだから、
6人家族の生活を楽しむしかない!と腹をくくり、なんとか家事育児に奔走する毎日です。
現在
このブログを立ち上げることを決めたのは、
第四子の妊娠がわかり、つわりが落ち着いた頃。
私自身、
離婚、再婚、出産を経験し、
人生、自分の思い通りにいかないこともたくさん経験してきました。
出産なんてまさにそうで、
妊娠中から、食べ物も飲み物も行動も、制限されることが多く、
出産後も、その制限は減るどころか、逆にできないことが増えていきます。
小さい子どもがいると、できないことは以外と多いんですよね。
私の場合、再婚後は、常に妊娠中が授乳中なので、
再婚後に主人とゆっくりお酒を飲めたことがほとんどない状態です。
結婚前は、よく2人で飲んでいたのに。
仕事面でももちろん、できないことが増えてしまいます。
でも、できないことを考えていても仕方がない!
自分の人生は1度しかないし、
自分の人生は誰かのためにあるわけではないし、
自分のために、自分が自分の人生を楽しみたい!
今ではそう思っています。
でも、数年前まではそう思えなかった。
良い母にならなくちゃ。
良い嫁にならなくちゃ。
これもしなくちゃ。あれもしなくちゃ。
と、自分を追い込んで、でも思い通りにはいかないことも多く、
自分はダメなんだと凹んだり。
だからこそ、私が経験してきたことをこのブログに綴ることで、
今悩んでいる方が少しでもハッピーに生きられるようになってほしいと思っています。
自分の人生をナチュラルに生きることを目指して!